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カワイピアノの歴史

カワイピアノの歴史

変えてはならないものを次代に継承する― それは創業時から脈々と流れるピアノづくりにかける熱い思い。
変えるべきものは大胆に改革する― それは最先端の研究開発による素材や設計の見直し。
90 年の歴史を重ねた「KAWAI」― 愛され、選ばれるブランドをめざして、さらに挑戦を続けます。

1927 年、河合小市が仲間と共に創設した「河合楽器研究所」。工場とも呼べない小さな倉庫からの出発であったが、そこには「ピアノづくりにかける熱い想い」という大きな資本があった。庶民には手が出なかったピアノのイメージを覆す、安さを求めて性能は妥協をしない姿勢、それはまさに技術者としてのプライドだった。

カワイピアノの歴史

生産を直接指揮した小市は、早くも「昭和型」と名づけた記念すべきカワイピアノ第一号を発売。さらに1928 年には、グランドピアノ第一号機「平台1 号」を発売した。小市を慕う仲間と生み出したピアノは瞬く間に知れ渡った。天才技術者小市の才能は花開き、独自の仕組みを持ち特許を認められた「自在アクション」や同じく特許を取った新式の響板などを次々に発明。1929 年には「河合楽器製作所」へと改称し、さらに規模を大きくしていった。

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だが、第二次世界大戦がこの歩みを止めた。技術者が戦地へ駆り出され、ピアノ工場は軍需工場と化した。そして終戦― 爪痕は深く残されたが、小市のピアノ作りへの情熱は消えてはいない。しかし追い打ちをかけるように、本社工場の火災と悲劇は続いてしまう。会社再建はそう簡単にはいかない長い道のりだった。

カワイピアノの歴史

「会社再建は我々の手で」― 苦難を乗り越えて、1948 年にはピアノ・オルガンの製造再開にこぎつけ、1950 年には小市の頭の中に残っていた克明な設計図をもとに戦後初のグランドピアノ500 号が製作された。世に出るカワイの製品は、すべて小市自ら最終チェックを行った。「楽器を売る前にまず技術を売れ」という小市の精神なくして、今日のカワイは語れない。
ピアノ作りへの情熱が業界初の藍綬褒賞受賞という形で評価されると共に、カワイが企業として認められたのも束の間、1955 年に小市は病に倒れてしまう― 発明家、技術者としてピアノ作りに生涯を捧げた河合小市。精神の音を追い求めた先に夢見た「世界一のピアノを作りたい」という小市の思いは、二代目社長・河合滋に受け継がれていった。

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1922年、舞阪町(現・浜松市)に生まれた滋は浜松一中(現在の静岡県立浜松北高校)で文武に励んだ後、陸軍士官学校へと進んだ。そして1946年、河合小市の次女・まさ子との結婚を機に河合楽器に入社。設計や生産管理を学んだ後、戦後のカワイを象徴する島田工場の立ち上げに取り組んだ。

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小市の逝去により33歳で社長に就任すると、持ち前の実行力を発揮して創造性豊かな政策を次々実施する。

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「音楽は万人のもの」の理念の下、1956年に開始した音楽教育振興事業の一つ「カワイ音楽教室」は、楽器の需要創造と音楽文化の向上を目指すものだった。さらに、予てから検討していた直営店制度への移行を1959年に開始し、直営販売の礎を築いた。また、高まる楽器需要に応えながら品質向上を図る画期的なプロジェクトとして、1957年には木材加工専門の新居工場を建設。さらに1961年には舞阪工場を建設した。

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そして1980年、当時のグランドピアノ専門工場としては最大規模を誇り、また最新設備による優れた生産能力を備える一方で、熟練の職工による昔ながらの手作り工程「原器工程」を有するカワイ竜洋工場を建設。たゆまぬピアノ研究開発を行う「Shigeru Kawaiピアノ研究所」を併設する、「世界一のピアノづくり」を目指す滋の思いが結実した工場であった。その後も、電子楽器事業、塗装事業や音響事業、金属事業といった新規事業を展開。アメリカを皮切りに海外拠点も増やしていった。

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同じ1980年、ショパン国際ピアノコンクールに赴いた滋は「あのステージにカワイピアノを乗せたい」との強い思いに駆られた。帰国した滋は従業員に奮起を促し、そして5年後の1985年、地道な研究開発が結実した「フルコンサートピアノEX」は世界で最も権威ある、ショパン国際ピアノコンクール公式ピアノに認定され、ワルシャワ国立フィルハーモニーホールのステージに立った。「KAWAI」がトップブランドになった瞬間であった。

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1989年、時代が「平成」へと変わった。滋は経営を息子の弘隆に託し会長となった。戦災の焼け野原から復興と再建に若さをぶつけカワイを世界的なメーカーに育て上げた。社長に就任してちょうど35年目の節目であった。

河合小市から河合滋へと受け継がれたバトンは、1989年10月、現社長・河合弘隆へと受け継がれた。

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会長になった滋は、50年にわたる自らのピアノづくりの集大成として新たなピアノの開発に注力し、1999年、世界一のピアノを作りたいという河合小市の夢を結実した「Shigeru Kawaiグランドピアノ」を発表した。厳選された最高の素材とクラフトマンの匠の技に、耐久性・信頼性に優れる炭素繊維素材を採用するなど新たな技術を注ぎ込んだこのピアノに、滋は自らの名を冠した。

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社長就任以降、弘隆は「温故知新」の精神を軸に、先代が作り上げてきた礎を時代に順応させて活用する方針を掲げ、異形金属板の製造技術を活かした金属事業や、ピアノ鏡面塗装技術のノウハウを活かした塗装事業といった新事業の芽を育んだ。世界的視野を持った活動により企業として本格的な世界進出も図った。

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しかし混沌の時代が来ていた。バブル崩壊以降、経営環境は大きく悪化した。生き残りを迫られた弘隆は、今こそ主軸であるピアノ生産・販売を見直すことが重要であるとして、インドネシアや中国での生産拠点・販売会社の設立など海外市場に目を向け、また国内では楽器販売・ピアノ調律・音楽教室が互いに支え合う三位一体体制を導入し、息を吹き返すことに成功した。

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しかし、そんな矢先に会長の滋が逝去。そして再び時代の混沌がカワイを襲い、リーマンショックが世界経済に大きな影響を与えた。弘隆は、就任時に語った温故知新の精神で従業員を支え、販売・教育・調律の三位一体体制を確立し、市場拡大のため海外市場の開拓にも注力した。さらに業界の枠を超え世界に羽ばたくための業務資本提携を通して、更なる事業の強化を図っていった。

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その一方で新世代のピアノ研究開発にも取り組んだ。2012年、Shigeru Kawaiグランドピアノは、厳選された素材を手作り工程を交えて生産する伝統のピアノづくり「原器工程」にいっそうの磨きをかけ、鍵盤長を延長する大胆な設計変更といった革新の思想を融合して第二世代となった。そして、その「伝統と革新」は大きく花開き始めた。2015年の第9回浜松国際ピアノコンクールで、カワイフルコンサートピアノSK-EXは24名ものコンテスタントに支持され、その中からアレクサンデル・ガジェヴ氏が第一位に輝いた。

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90周年を迎えた2017年、更なる飛躍の一歩を踏み出そうとしている。
― 響け、世界へ ― カワイの挑戦は続く。